きらきらひかる僕らの星よ
――アルベール・ジュネット様
美しいスカイブルーの封筒と、銀の蜜蝋で模られたオーレリアのシンボル。本文に書かれた日時と、宛名が私の名前であることを、もう一度確認しつつ、私は少し窮屈なスーツに皺を付けないよう、慎重にホテルのベッドに腰を下ろした。
先に行われた、オーレリア戦争――レサスの電撃侵攻と、首都陥落。それに抵抗する残存部隊の、こちらも電撃戦による首都奪還――から数週間。私は未だオーレリアのホテルに留まっている。
この戦争終結に伴う、公式なセレモニーは、軍やオーレリア政府主催で盛大に行われ、私もここ数日、方々の会場に記者として顔を出していた。
しかし、今私の手元にあるこの封筒は、今回の首都解放に尽力した関係者達の、慰労と懇親を兼ねた、内々で行われるパーティの、私個人的への招待状だ。
本来なら、自分のような国外の一記者がこんな宴に招待されるわけもない。しかしながら、オーレリアという国は、どうやら民衆からトップまで、陽気でおおらか、良く言えば寛容な(少し悪く言えば、やや暢気な)お国柄らしい。レサスの二重帳簿を暴き、世界にオーレリア解放の足掛かりを作った恩人として、私の滞在しているホテルまで、招待状を届けてくれた。
国として、その懐の深さと暢気さ加減はどうかとも思うが、私個人としては、その明るさとバイタリティは嫌いではない。
それに、あの南十字星に、今度こそ会える。そう思えば、タイを結ぶ手も逸る。
そうこうしているうち、フロントから、タクシーが到着した旨を告げる内線が入った。私は商売道具のカメラを手に取り、少々浮ついた気分で部屋のドアを開けた。
「この辺で、一旦休憩しましょうか隊長」
オーレリア首都、グリスウォール。やや高級な店が立ち並ぶこの一画は、他の商業施設が集まるエリアに比べ、人もまばらで静かだ。
僕は雰囲気の良さそうなカフェを見つけ、暑さと朝からの買い物で、すっかりバテている同行者を振り返った。
「カフェオレ、それと冷たい水を多めに」
通りに面した、洒落た店のなるべく奥。冷房が効いて、直接陽が当たっていない席に腰かけ、やってきたウエイターに二人分の注文を言付ける。
普段の僕ならば、まずメニューを眺め、店でお勧めされている、飲み物とケーキなどをゆっくり注文するのだが、今は同行者の水分補給が急務だ。
ウエイターが立ち去ると、テーブルの向かいから、盛大なため息が聞こえてきた。
「隊長、大丈夫ですか?」
僕の問いかけに、是とも否ともとれる、謎のうめき声を上げ、向かいに座った彼女は、そのままテーブルの上に、突っ伏した。この目の前の女性が、オーレリアの窮地を救ったパイロットだと分かる人間は、僕以外にいないだろう。
「…大丈夫じゃなさそうですね。あとでアイスか何か注文しましょう」
ありがとう、ユジーン。そう言って顔を上げた女性――オーレリア軍の英雄、南十字星ことグリフィス1――は、僕にむかって力なく笑って見せた。
至急グリスウォール本部に顔を出すように。
そう連絡が入ったのは、出席が必要な公式行事も一通り終わり、戻ったオーブリー基地で、年末に向けて片付けに取り掛かった矢先だった。
公式な命令ではない、けれど有無を言わせぬ上官からの通達に、隊長と二人顔を見合わせ、数日前に発ったばかりのグリスウォールに、トンボ帰りしたのが一昨日。その日のうちに、関係者を集めた内々のパーティが行われる事を告げられた。
それだけならば、まあ特に慌てる事もない。僕らは軍の人間なので、公式行事には自分の軍正装で出席すれば良いし、本部には一応予備の正装も揃っている。なんの問題もない筈だった。
ただ一点『慰労と懇親の会なので、軍装ではなく平服で』というドレスコードが付随されていなければ。
僕や、他の男性軍人なら、型通りのスーツはいくらでも調達できる。けれど、女性のパーティドレスとなると、そうは行かない。
しかも、私物を置いてあるオーブリーの基地は、一時完全に前線基地と化していたおかげで、未だに片づけが終わっておらず、何処に何があるのか分からない惨状だ。
結局、途方にくれてしまった隊長に代わり、僕が上官の奥方や、同期の女性職員から情報を収集、分析検討。結果、本日の高級洋服店で買い物、というミッションが敢行された、という訳だ。
ついでに、フェンリアに乗ったアレクト隊よりも、笑顔で無理難題を叩き出す、ウチの国の方が厄介。という、げんなりたした、買い物途中のグリフィス1の言葉を付け加えておく。
「街の復興もかなり進みましたね」
運ばれてきた飲み物で喉を潤し、一息ついてから、僕はカフェの窓から外を見た。向かいの隊長も、氷とミネラルウォータが入ったグラスを抱えながら、同じくガラスの向こうを眺めている。
オープンテラスの向こうには、大通りを挟んで、若者が多く集まる流行の店が並んでいるのが見える。
幸い、と言うべきか、レサスの電撃侵攻にオーレリアはほぼ無抵抗だった――抵抗はしたが、不本意ながら、レサスの兵器に対応しきれなかった――ために、市街に大規模な損害が出る事は無かった。
そして首都を取り戻した今、グリスをウォールの市民達は、自宅やショウウインドウの補修をしたり、店の前に臨時屋台を出したりしながら、逞しく日常生活を取り戻そうとしている。
「今日のミッションも、無事に終わりましたし」
だいぶ苦戦したけれど。と言う隊長の苦笑い混じりのツッコミに、確かに、と笑いながら、僕は足元のショップバックに目線を落とした。 中身は、入り慣れない高級店で、あれこれ半日試着を繰り返して、ようやく手にした本日の戦果だ。
購入したのは、光沢のあるブルーの生地でできた、膝丈のシンプルなカクテルドレス。胸元には銀のビーズで雪の結晶が刺繍されていた。
オーレリア国旗をイメージしたデザインですよ。そう、誇らしげな顔で笑った店員の言葉が、購入の決め手だったのだろう。
「――ああ、そうだ」
隊長のアイスが半分ほど減ったところで、僕はジャケットのポケットに入れていた小箱の存在を思い出した。
「その、そんなに高価なものでもないですけど、良かったら」
スプーンを止めて、こちらを見ていた隊長に、掌サイズの小箱を差し出す。
隊長が試着を繰り返すのを待っている間、店員から勧められた髪留めだ。
女性にこういう物を渡すのは、なんだか気恥ずかしいが、オーブリー基地からずっと戦線を共にした戦友、そして絶望的だったこの国を救ってくれた英雄への、僕のからのささやかな気持ちだ。
本日のミッションの勲章代わりに。そう言い添えて箱を渡すと、少しはにかんだ気配と、感謝の言葉が返ってくる。その言葉に、どういたしまして、と僕も少し笑う。
「――そろそろ行きましょう、陽も少し弱くなってきましたから」
暫く今後のオーブリー基地の方針――年末の片付けと、人員について、それに軍の建て直しについて話をした後、僕らはカフェを後にした。
「あっ、すみません、隊長見ませんでしたか?」
「ソラーノの隊長って、グリフィス1か? 今日パーティだろ?」
「ええ、そろそろ時間なのですが、姿がみえなくて……」
「朝は食堂で見かけたけど、それ以来は見てないな。分かった、見かけたら捕まえとくよ」
「そうですか、ありがとうございます」
翌日、パーティ当日の夕方、僕は本部でうろたえていた。
グリフィス1こと隊長が、一向に姿を見せないのだ。
午後6時の出発予定時間を20分は過ぎ、本部の窓から入る光も、夕日から街灯へと変わろうとしている。そろそろ会場に向わないと、本気でまずい。
「――そういえば、格納庫の方に歩いてくのを見たよ。なあ?」
広い本部の建物内をあらかた歩き尽くし、遅刻の言い訳を考え始めたところで、有力な手がかりをくれたのは、ちょうど外から戻ってきた、戦闘機担当の整備士達だった。
「そうそう、ちらっとしか見なかったけど、あれ多分グリフィス1じゃなかったか?」
「ああ、髪に付けてたし。なんかキラキラしてるやつ……多分南十字星の」
「それです! 間違いない。ありがとうございます、助かりました」
南十字星を模した、ラインストーン付の髪留めは、昨日僕が隊長に渡したものだ。僕の贈った髪留めは、今日のお供に選んで頂けたらしい。嬉しくて思わず口元が緩むが、今はそれどころではない。
おい、慌てて転ぶなよ。という整備士達の声を背中に、僕は格納庫目指して走り出した。
市街地にある本部基地とはいえ、格納庫までは結構な距離がある。
普段、それほど体力を使わない部署にいる僕には、格納庫までの全力疾走は少々きつかったようだ。肩で息をしながら、どうにかこうにか、半開きになった格納庫の扉の前に辿り着いたとき、太陽はすっかり地平線の下に隠れ、名残のオレンジに星明りが灯り始めていた。
灯りもつけない格納庫。空の上で轟音を上げる戦闘機達が、嘘の様に静かに居並ぶそこは、オーレリアの暑い季節にあっても、どこか寒々しかった。生ぬるい夜風に乗って、微かな油の匂いが鼻にかかる。
その戦闘機達の陰に人影があった。外から差し込む街灯と、非常灯の灯りに照らされた輪郭に目を凝らすと、案の定そこに居たのは、隊長だった。
連日非常召集がかかり過ぎて、いちいち着替えるのが面倒くさい。と最早部屋着となっているフライトスーツを着て、静かに佇む戦闘機を見上げている。
何してるんですか、遅刻しますよ。そう言いかけて、僕は口を噤んだ。
よく見ると、女性にしては骨太な、けれど男に比べると、華奢で柔らかな指先が、南十字を咥えるハゲワシを撫でていた。そして、その口元が何か呟く。
距離は遠くて、その小さな声はあまり聞こえなかったし、微かな灯りで口元も良く見えなかった。けれど僕には、確かにその呟きが、ここに辿り着くまでに喪った、いくつもの名前に聞こえたのだ。
隊長だって今回のパーティが、隊長を始め、この戦いに関わった多くの人を、労うために企画されたものだと言うのは、解っているだろう。それに隊長自身も、これまでの多くの協力者達に、感謝と労いを伝えたいと思っている。この暑い中、わざわざ買い物に出て、真剣にドレスを選んでいたのが、その証拠だ。
ただ彼女には、この場に並ぶ機体や、もうここに居なくなった者達の事も、疎かには出来ないのだろう。
少なくとも、あの日、あの田舎の辺境基地で、レサスの侵攻をなんとか食い止めた日から、オーレリアを取り戻すまで、隊長と共に過ごして来た僕には、そう思えたのだ。
たとえば僕がリック中尉の様に、陽気なトークで、この場を盛り上げることが出来れば、隊長も照れ笑いをしながら、パーティ会場へ向かうだろう。けれど、もうリック中尉は居ないし、残何ながら僕はリック中尉にはなれない。
ただ僕には、レサスとオーレリアの戦いの中で、少しだけ身に付けた強みがあった。
それを思い出して、話をつけるべきいくつかの部署と、残り時間の算段を頭の中でつけ、ゆっくりと一歩、格納庫の中へ足を踏み出した。
「ここに居たんですか、隊長」
少し意識して、明るく尋ねた僕の声に、隊長は弾かれた様にこちらを向いた。
どうやら、時間がたつのを忘れていたんだろう。
隊長は、すまない。と、気まずそうに目を逸らす。
その顔は、まるで小さな子供のようで、僕は思わず笑ってしまった。
「隊長、パーティ会場に行かず、かつ国のお偉方の面目を潰さない作戦がひとつあるのですが、どうします?」
隊長が、きょとんとした顔で頷きながら、こちらを見返す。その顔は、昨日どこかの店先で見かけた、子供向けのうさぎのぬいぐるみにそっくりだ。
なまじ今までが、緊急事態の連続だったため気付かなかったが、この人、平時は一般人よりも、よっぽど抜けているんじゃないだろうか。
そう思いながら、僕はここ二ヶ月くらいで、すっかり言いなれてしまった台詞を、背筋を正して口にした。
「それでは、ブリーフィングを始めます」
――どうやら私は、またしても南十字星を掴み損ねたらしい。
ディナーとワインが用意された、豪勢なパーティ会場。その目の前のスクリーンには、美しい軌道を描きながら、グリスウォールの夜空を舞う、F-22が映し出されている。
あんぐりと口をあけた私には、司会者の読み上げる、グリフィス1からの謝意をこめて、などというメッセージなど、意味を成さなかった。代わりに、既に酒が入ったオーレリア解放同盟と、潜水艦ナイアッドの乗組員達の、やるなグリフィス、俺達もやればよかった。などの歓声が、うるさいくらいに響いている。
滅多に見られない、普段戦場で敵を落とす為に飛ぶ戦闘機の、加速と減速を駆使した、職人技のアクロバット飛行。
そう、これはとても粋な計らいだった。私が、グリフィス1にインタビューする機会を、ふいにした事を除けば。
私はとりあえず、片手に持っていたワイングラスの中身を飲み干すと、カメラを抱えて走り出した。
相変わらず、ご機嫌な歓声を上げる面々の横を駆け抜け、パーティ会場を飛び出す。その勢いのまま、タクシーを捕まえ、私はグリスウォールの本部基地前へ乗りつけた。
しかし、いくらパーティに招待されたからといって、許可証も持たないジャーナリストが、いきなり本部基地に入れる訳もない。
ため息をつきつつ、せめても、と カメラを空に向かって構えた時、基地の奥から出てきた車が、私の隣で止まった。
基地前で、カメラを構えてしまった己を叱りつつ、冷や汗をかきながら、言い訳を何通りか考えて私が顔を上げると、予想外の言葉が車の中から発せられた。
お久しぶりです、と車窓から身を乗り出し、愛嬌のある顔で笑ったのは、以前グリフィス1について私がインタビューした、通信士のユジーン・ソラーノだった。
私がパーティ会場からの事の顛末を話すと、すみません。と彼は苦笑いを浮かべた。
彼によると、グリフィス1は、しばらくグリスウォールの空を飛んだ後、そのままオーブリーの基地へ戻る手筈になっているらしい。
二度も南十字星を掴み損ね、肩を落とした私に同情したのだろう。彼は私をホテルに送る道すがら、素顔のグリフィス1について、少しばかり話をしてくれた。
あの日までの、オーブリー基地での日常と、その後の転戦の日々。官位や政治にはあまり興味がなく、けれどオーレリアの空と国を愛している事。そして、本当の所、グリフィス1は彼ではなく彼女で、今日はドレスの代わりに南十字星の髪留めを付けている事など。
彼の話は、昔取材で空を共にした、オーシアの”彼”らを彷彿とさせ、私は年甲斐もなく、ユジーンと国と国の狭間で、戦場の空を駆けるパイロット達について語りあった。
ユジーンとの別れ際、私が話した彼らについてグリフィス1に話をして良いか、と彼から問われた。私が内々になら。と答えると、ありがとう、目を輝かせた。私の方こそ、オーシアの”彼”らに、先程のグリフィス1の話をして良いかと尋ねると、ええ是非。と言ってやや童顔な顔に、誇らしげな笑顔を浮かべる。それにつられて、私も思わず笑った。
ひょっとすれば、近うちに、北の英雄と南の星のエンブレムが共に空を飛ぶ日が来るかもしれない。
そんな期待に心を弾ませながら、私は南十字星があしらわれたホテルの扉を開いた。
――願わくは、その時、彼らの愛する空と大地が、穏やかなものでありますように、そう心の中で祈りながら。