呼吸が見える ある寒い日
腕の中の仔犬が、ちいさく鼻を鳴らすのが聞こえた。
川端が視線を降ろすと、クリーム色の仔犬が彼の腕の中で、もぞもぞと向きを変える。いつもの飼い主の腕ではないので、どうやら座る位置が安定しないらしい。
仔犬といっても、もう骨も太く肉付きも良くなってはいる。しかし眠たげな目をした顔からは、まだ乳の気配が抜けきっておらず、川端は小さく笑う。
早朝の散歩で顔なじみになった飼い主に、大きくなりましたね、と声をかけ、良ければ、と勧められ抱き上げたのだが、まだまだ見た目よりも子供らしい。
『転生』された川端の自身の生は、未だ曖昧なものだったが、腕の中の重さと温かさは、そこに確かに命があることを感じさせている。
少しして、定位置を見つけたのか、おとなしくなった子犬を抱え直し、川端は隣で、同じく子犬を抱える親友、横光に目をやった。
横光の抱える柴犬は、どうやら彼同様に、好奇心旺盛な性格らしい。彼の肩に手をかけ、いつもと違う視点から空を眺めたり、横で括った髪に鼻をつっこんだりと忙しない。
抱える横光の方は、興奮して落ち着かない仔犬に、苦笑いしながら手を焼いている。落ち着いた青年の印象は陽光に溶け、彼の頬は幼く柔らかな輪郭を描く。
川端はその輪郭に、以前書斎に置いていた、小さな太子像の頬を思い出し、思わず口元を緩めた。
気づいた横光が、かわばた、と少しとがめる口調で彼を呼ぶ。
「貴方のことを笑ったのではないのです」
すみません、と言いながら川端は横光に笑いかける。
揺れる尻尾、笑う友人のまろやかな頬、芝生の上に落ちる淡い陰、腕の中の重さと温かさ。
「ただ――ただ、 世界の輪郭は美しいと、そう感じたのです」
貴方もそう思いませんか、と問えば、まるで同意するように、わふ、と腕の中の子犬が鳴いた。
鎌倉文学館で見た、実際の川端先生の笑顔の写真が、とても印象的でした
太子像を眺める笑顔を見ると、そりゃ病院も抜け出すわな、と納得。