菫と琥珀 屋上には天使
I珈琲店はK駅の改札を出て、すぐの所にあった。
一足先に改札を出た弟子達の、色違いの首巻きが揺れるのを眺めて少し笑う。
今日の目的は、駅近くの施設に研究書類を届ける遣いだが、K駅と聞いて、弟子二人を連れてこの店に寄ることに決めた。
仕事前に私用を入れるのはあまり好みではないが、感情をあまり表に出さない弟子の、懐かしむような声と、興味深そうに店の案内を読む姿を見れば、そんな私情は些末な事だろう。
乗り継ぎが上手く行ってよかった、と弟子二人と笑い合いながら、大通りに面した自動扉を入る。
前評判では、人が並ぶほどと聞いていたが、平日の開店直後とあってか、店内の客はまばらだ。
案内されたのは、店の奥。サンルームをそのまま転用したと思われる、中庭に面したボックス席だ。小さな店内だったが、サンルームの壁面をそのまま流用しているので、天井から足下まで空と中庭が見通せ、狭さを感じさせない。奥に見える中庭も、小さいながらよく整えられていて心地良い。
良い店だな、と案内した弟子を労いながら、とりあえず先に届いたブレンド珈琲に口を付けた。酸味のある爽やかな口当たり、なかなかの味だ。午前の仕事前には丁度良い。自分は注文しなかったが、これならメニュー表に並んでいる甘味にも合うだろう。
そうこうしているうちに、弟子二人が注文した品も届いたようだ。
一番の売りだというパンケーキは、焼き上がりに三十分かかるとの事で、事前に今回は見送ることに決めた。しゅんとした弟子達に、また次に来る理由が出来た、と笑ってやると、子供のように二対の瞳が嬉しそうな色を見せて、次月からのスケジュールの調整に、司書室へ走ったのは、ここだけの話だ。
どうやら、二人で一品の注文をしたようで――そこまでしなくとも予算なら十分あるから、と言ったのだが。さて、何を頼んだのかとテーブルの上を覗いて納得する。
なるほど、一つの皿に二つのプリンが仲良く収まっていて、まさに注文した二人のためにあつらえたようだ。じっと皿を注視する、深く落ち着いた意志の強い菫と、隣で少し得意げな顔をする、淡く薄めた優しい琥珀の対比が微笑ましい。
これを見ただけも来た甲斐があった、と珈琲を啜りながら、店内を眺める。
それぞれの壁には、若手のアーティスト達の小品が、邪魔にならない程度にいくつか掛けられ、飲食だけで無く、客の目も楽しませている。
気に入ったので買って帰ります。などと言い出さないだろうな、と弟子の挙動に目を配りつつ、万一のために懐具合も確認しながら、カップを傾けた。
しばらくは三人で、今手を付けている新作や、最近読んだ書籍などについて話していたが、ふいに、つ、と目の前の二人の匙が止まった。色違いの首巻きを付け、左右対称な分け目の前髪をした二人は、そのまま、無言でお互いを伺う。
どうやら、皿に一つだけ乗ったサクランボを譲り合っているらしい。女学生でもあるまいに、と思うが、今生の弟子二人は女学生もかくや、という容姿である。しかも文才は生前からの折り紙付き、となれば文句も言えない。
どこぞの無頼派なら、ここでやかましく騒ぎ始めるのだろうが、自分のところの二人はそんな事とは無縁のようだ。互いの視線を合わせては、首を振ったり、頷いたりしている。やりとりの内容は分からねど、長年の経験で丸く収まる事は了解済みだ。そんなやりとりさえも、彼らの生前を思えば愛おしい。
感慨深く珈琲の水面を眺めていたところで、先生、と呼びかける声に現実に引き戻された。
顔を上げると、期待を込めた眼差しで、じっとこちらを見つめる菫と琥珀。
そのまま彼らの手元に視線を移すと、サクランボとクリーム、プリンの欠片が盛られた匙がこちらに差し出されている。
いくら女学生のような整った顔とは言え、大の男が三人、開店直後の人気の珈琲店。しかし眼前には、師である自分以外にはほとんど見せないであろう、才覚ある可愛い弟子達の、甘い笑顔が一揃い・・・・・・
――ああ、此処の珈琲は本当に甘味に良く合う。
敵わんな、と見上げた壁に掛かった絵は、無邪気に笑う天使のモチーフだった。
鎌倉文学館と一緒に、川端先生が通っていたというイワタコーヒー店にも行きました。
ホットケーキも魅力的ですが、他のメニューもとても良かった。