朝顔、もしくは曉の女神の内腑にて
夜明けに少しだけ足を掛けた早朝。窓の向こうには白い光が覗いているが、部屋の中はまだ薄暗い。部屋の主である横光は、自分の寝台を見下ろして、小さくため息をついた。
「・・・・・・川端」
「・・・・・・」
とりあえず、眼下に映る布団の小山に声を掛けるが、返答はない。どうしたものか、と首を傾げるのに合わせて、普段は肩で括っている紫の髪が、今日は背中で散らばり、微かな衣擦れの音を立てた。
事の発端は些細な出来事だ。ちょっとした目的のための、いつもより少々早い時刻の散歩。その終わりがけ、一緒に部屋の前まで来た友人は、預けていた首巻きを後ろ手に隠し、腕を伸ばしてこちらの髪紐を解くと、ふふ、と笑ったのだ。曰く、「羽衣は隠してしまいましたよ」と。
茶目っ気のある友人としては、即興芝居に乗ってほしかったのだろうが、その後に控える約束に気を取られていた横光は、馬鹿正直に、現実に即した生真面目な返答を返してしまった。
そうして友人は現在、横光の首巻きと髪紐を抱え、薄い夏布団を頭まで被って、一度は整えた横光の布団に丸まっている。正確には、きちんと目は覚めているので、これは完全にふて寝の体勢である。
「・・・・・・川端」
「・・・・・・」
もういちど呼びかけるが、やはり返事はない。
嘆息をこらえて窓の外を見やれば、そろそろ曉の女神が、その身を地上に横たえる頃合いだ。遠くの雲に掛かる、まだ生まれたての陽光と、空の端にある白い星の名残が美しい。
はたして、この図書館に居並ぶ者達は、この情景をどう描写するのか。そう思索に耽ったところで、不意に着物の袖口を引かれた。視線を布団の固まりに戻すと、布団の端から覗く白い指先が、器用に袖口をつまんでいる。こちらを構え、といったところか。「世界の」など大仰な肩書きが付こうとも、こうして甘える姿は子供のそれだ。布団の端から覗く、淡練色のつむじが微笑ましく、いじらしい。
「羽衣が有っても無くても、手前の場所は此処だろうに――」
言い終わらないうちに、布団の中から伸びてきた手が、敷布に付いたこちらの手首を掴み、そのまま彼の懐に引き込まれてしまう。満足げな忍び笑いが、布団の中から漏れ聞こえ、横光は思わず苦笑いをして、天を仰いだ。前言撤回、この友人はしばらく見ない間に、随分と老獪な策士になったものである。
つい先ほど水盤に浮かべた、女神の使徒である朝顔は、視界の端でこちらに微笑みかけている。
――菊池さん、すみません。
前夜、早朝から朝顔を見に行く、と言った二人に「風流で良い」と笑った師匠に、内心で頭を下げる。良い物があったなら、朝食の席に一輪、という約束だったが。
――今日の朝餉は遅くなりそうです。