信仰のにおい、羽化の引鉄
※耗弱からの無理心中(最終的に合意)流血注意。人によっては、ややグロ。演出の都合上、アプデ後の潜書システムに、ややネガティブな言及があります。
「大丈夫か、川端」
狭い裏通りの壁に背を預けて、息を吐いたところで、隣の友人がこちらに声を掛けた。
「ええ、なんとか……利一は」
「手前なら大丈夫だ」
少し先を見てくる、そういって歩き出した友人は、数メートル先の建物の影から、表通りの様子を注意深く窺う。その様子をぼんやりと眺めながら、川端はもう一度重く息を吐いた。そのまま、背を預けたまま、ずりずりとその場に座り込む。
本の中特有の、静かで薄ぼんやりとした町並みの中、友人――横光の白い上着と、葡萄色の髪だけが鮮やかに見えた。
数週間前から潜書のシステムに変更があった。
これまで、錬金術師の裁量によって判断が下されていた潜書中の進退が、司書の判断を必要としなくなった。代わりに術そのものが、潜書の進退に判断を下す。
その判断は、ひどく機械的なものだった。会派で一人でも動ける者が居るならば、最深部の浸蝕者を倒し、浄化を完了させるまで進軍させる。もしくは、会派の最後の一人が動けなくなり、潜書失敗として判断されると、撤退の合図が出される、というものだ。
熟練したものが揃う図書館では、錬金術師の手を煩わせない良いシステムだろうが、比較的のんびりとした方針だったこの図書館では、システムそのものが、潜書の足枷となっていた。
そして今日も、規定通り四人の会派で潜書を行ったものの、うち二人は現在喪失状態。かろうじて動けているのは、川端と横光の二人だけだ。傍目には、失敗であることは明白だが、二人が動けると判断されているためか、未だに潜書失敗としての帰還命令の合図はない。
「どう見ても、負け戦なんですがね……」
座り込んだまま、誰に言うともなく愚痴めいた独り言が口をつく。川端自身、動けるとはいっても、なんとか武器である戟を支えにして、足を進めるという状態だ。友人のほうも、口では大丈夫と言いつつ、先ほどから脇腹の辺りに手を添えているのは、つまりそういう事なのだろう。
また、独りとり残されてしまう――そこまで思って、頭を振った。潜書中の負傷は厄介だ、見た目の傷ならそれなりの手当でなんとかなるが、精神の不調はどうにもならない。
もう一度しっかり息を整え、大丈夫だ、と言い聞かせる。ここは本の中だ、たとえここで命を落とすような事があっても、図書館に戻りさえすれば、外傷も精神の不調も、元に戻すことができる。それに、と小さく息を吐いてつぶやく。彼のことは何をしてでも守るつもりだ、たとえ己の命に代えてでも。ひとり頷いて、少し遠くに見える葡萄色に目を細める。
「――さて、私も行きますか」
大丈夫とは言うものの、そう大丈夫でない友人を一人働かせてはおけない。彼は、妙な所で体裁を気にする質なのだ。眉間に皺を寄せた師匠の顔を思い出し、思わず苦笑する。姿形が変わってはいても、不器用な実直さと、優しい掌に変わりはなかった。一度はなくしてしまったものだ、せめて自分の力の及ぶ限りで――そう思いながら、傍らの壁に立てかけた戟の柄を握る。
ふいに、行かせるのか、と脳裏を漂う声が聞こえた。おそらく、ここで自分の命を差し出して彼の身を守ったとして、その後彼はこの本の最奥にいる浸蝕者に、一人挑むことになる。それは無謀で、酷く孤独なものになるだろう。見上げた裏通りの狭い空には、重く暗い雲が垂れ込めていて、どこか息苦しささえ覚える。
彼を行かせるのか、ともう一度声がした。あの、自分の辿った、寂しい道行きを。
目をやれば、向こうの通りに立つ彼の背中が見える。
「ええ、そう、ですね……」
――遠く波音が聞こえた
ゆっくりと立ち上がり、少しふらつく足で歩を進める。
――逗子の海は穏やかで
そのまま、友人の背にもたれ掛かった。自分と同じ、色違いの首巻きが掛かった肩口に顔を埋める。
「……利一」
引きずってきた、自分の武器である戟の柄を逆手に握る。手早く終わらせるなら、切っ先に近い方が力の入りが良い。
「川端?」
どうした、という友人の言葉は音になることはなかった。
――光の差す小波の水面は
抵抗は、驚くほど少なかった。友人の背から、脇腹へ通した戟の剣先と柄を伝って、ぱたぱたと水音が滴る。薬か、せめて酒でもあったなら、もう少しましだったろうが。そう思いながら、ぬめる柄を握る腕に、さらに力を掛ける。抱き込むように前に回した左腕に、友人の手が縋り付き、もがくように爪を立てた。
――それは美しかった。
左肩に、葡萄色の後頭部がもたれ掛かる。鼻先を掠めた髪から、淡い香りが漂った。ご存じですか――場違いながら、いつだかに聞いた同業者の囁きを思い出す。同じ洗髪剤を使っていても、同じ香りにならないんですよ――ふふ、と笑う記憶の彼になるほど、そうですね、という納得と薄笑いを返す。
抵抗するように振られていた頭が静かになり、微かな痙攣を最後にして、爪を立てていた手が、重力に従いぱたりと落ちた。力の抜けた成人男性の体重は、さすがに支えきれず、友人を抱えその場に座り込む。
「……すみません」
言いながら、友人の背に刺さった戟を引き抜く。引き抜いた剣先から赤が溢れて、川端自身と友人の着物、そして周辺を染める。上がる息を整え、膝枕をするように友人の頭を膝に乗せた。乱れてしまったその前髪は、普段は見えている、彼の左目さえ隠している。友人の膝の上の重みと、腕に残る爪痕の甘い痛みに安堵と充足を覚えて、ほう、と息を吐いた。
「今度は、待たせませんので」
言いながら、一度地面に置いた戟に手を伸ばす。血溜りに浸かったそれは、水気と何故か震える指先で、上手く掴むことができなかった。二度、三度と取り落とし、眉根を顰めたたところで、後ろで獣が唸る気配がした。
「これは……僥倖ですね……」
使い古した洋墨の匂と紙の匂い、倦怠と鬱屈の 気配。もはや、立ち上がる気はおきなかった。
背後から音もなく近づいた黒い獣の顎が、右の首筋を噛み千切る。耳が捕らえた音か、振動からの感覚かは分からないが、筋や何かが切れたようだ。細い縄を引き千切るのに似た音と同時に、温かい液体が流れ落ち、肩と胸元を伝って膝と地面に水面を作る。先ほどの友人のものと、自分の赤が混じり合い、ぱしゃん、とちいさな波音を立てた。
追撃に備え、背を丸める。先ほどの傷のせいで、乳児のように座らなくなった首が、かくんと傾く。自然と膝に載せた友人を覗き込む格好になった。なけなしの理性が、見てはいけないと警告をする。
きつく目を閉じたところで、そっと頬に自分の物ではない指先が触れた。温度をなくし、ひんやりとしたそれに、理性を振り切った本能が、反射的に瞼を開ける。
「・・・・・・つ」
開いた視界、鼻先が触れ合うほどの近くに友人の顔があった。口元は微かに微笑みの形を作っている。その潤んだ瞳の、穏やかな琥珀色。そして、そこに映るのが己の姿だという現実に、力の抜けていく背筋が粟立つ。無意識に、かみさま、と呟くのと背中に鋭利な痛みが走るのは同時だった。
潜書から戻り、一通りの報告を終え解散した会派は、各々生活の場に戻っていく。川端も横光と共に、図書館の渡り廊下を歩いていた。
「司書には悪いことをしたな」
戻ってきた会派を出迎えた司書は、青い顔をしていた。それはそうだろう、全滅に近い有様での潜書失敗は、これまでほとんど無かった事だ。詳細は伝わらないとはいえ、原因の一端を担う川端としては、それなりに良心が痛む。
「……ええ」
友人の言葉に頷きながら、それに、と彼に視線を向ける。いつもなら着物の歩幅に合わせて、並んでくれる友人の歩みが、今は半歩早い。ちらりと窺うが、半歩分の斜め後ろからでは、彼の前髪と首巻きでその表情は見えなかった。何か言うべきだろうか、と彷徨った視線は、友人の揺れる首巻きの先を捉えるのみだ。図書館に戻り、何事もなく戻っているはずの左腕に、あの爪先の甘い痛みが戻ってきた気がする。
無意識に、羽織の上から腕を押さえたところで、川端、と声を掛けられた。顔を上げると、足を止めた友人の真摯な瞳と目が合う。
「あのまま正気で、先へ進めるとは思っていなかった」
感謝する、とこちらへ向ける口元には、柔らかな曲線。光の加減か、少し潤んだ彼の琥珀は、本の中と同じ穏やかな色をしていて、けれどどこかに照れたような色が見え隠れしている。
「いえ・・・・・・私の方こそ、混乱していたとはいえ・・・・・・」
すみません、と小さく呟いた言葉に、それに、という友人の声が重なった。
「――こんな事を言うと、川端や菊池さんに怒られてしまうかもしれないが・・・・・・」
普段から歯切れの良い物言いをする友人は、めずらしく言葉を切って視線を足元に彷徨わせる。無言で先を促すと、これまためずらしく、観念したような苦笑いを浮かべて、彼は口を開いた。
「・・・・・・最後に、貴方の顔を近くで見ることができて、満足だった」
貴方の目に映る自分を見つけて、ひどく安心したんだ。
彼の得意とするレトリックもなく、率直に一息に言い切った彼は、こんどこそ完全に照れてしまったようだ。首巻きに口元を隠し、明後日の方向を眺める。その子供のような仕草に、思わず笑みがこぼれた。私もです、と言いながら握った彼の指先は、柔く温かだった。
「・・・・・・しかし、いつまで続くのでしょう」
システムが変わらない以上、自分たちと同じような状況に陥る文士も多いだろう。そして潜書が続く限り、今回が最後とは限らない。
「さてな・・・・・・」
思わず出たつぶやきに、同じ事を思ったであろう、友人の重いため息が重なる。
渡り廊下から見上げる空は、まるで本の中と地続きであるかのような、暗い曇天だ。雨の匂いとかすかに聞こえる遠雷の音が、近くやってくるであろう嵐の気配を知らせていた。
総括、割れ鍋に綴じ蓋。
アプデ後の弊館が地獄絵図だったので、さらにどん底まで落としてみた。
・・・けど、良心が痛むので、結局最後は手ぬるくなりました。
だから、シリアスほったらかして、すぐにいちゃつこうとするんじゃない。
イメージBGMはまさかのデッドボールPの『1LDK』
いや、でも聞いてもらえればちゃんとイメージどおりだから・・・たぶん
個人的にはカバーのルカメイ版が好き。