Landscape fragment
朝食後の一服を終えて図書館に戻ると、廊下の角を曲がる弟子の、見慣れた茶色の羽織が目に入った。
「川端、ちょうど良かった、昨日渡した本だが――」
たいして急ぎではないが、朝食の時間に姿を見かけなかったため、行き会ったら言おうと思っていた要件だ。早く伝えられるならその方が良い。これ幸いと、廊下を早足で追いかけ――はて、と違和感に首をかしげた。
「……横光? 」
趣味の良い、上品な羽織の肩に掛かっていたのは、いつもと違う寒色の首巻き。その上に乗っているのは、葡萄色の髪を横でくくった生真面目な顔。
「……ええと……はい、菊池さん」
「……菊池先生、昨日の本……大変興味深く、面白い内容でした」
利一が明け方まで読みふけるほど。そう向こうで返事をするのは、元々の目的だった、淡い白練色の髪を光に透かした川端だ。
友人の羽織を羽織って気まずそうな横光と、めったに見ない羽織のない着物姿の川端。そして、きょとんとして間抜けな顔をして居るのであろう自分。
朝の穏やかな空気のなか、窓の向こうから、小鳥の羽ばたく平和な音と同時に、隣から小さなくしゃみの音が聞こえた。
「――それで、夢中になって読んでいて、風邪を引いた、と」
ひと通りの顛末を聞いて、なるほどと頷くと、対する川端も重々しく首を縦に振る。
「ええ……ひとを布団に押し込んでおいて、自分は上着も着ずに読んでいるんです……」
「……これくらい、風邪とは……」
「明け方から隣でくしゃみをして、鼻を啜っていた方に反論の権利はありませんよ」
「う……」
そういえば、昨晩はいつになく冷え込んだ夜だった、と思い返す。よく見れば、いつもにもまして生真面目な仏頂面の鼻先が、ほんのり赤くなっている。会話の合間も、微かに鼻を啜る音が聞こえて、これは横光の分が悪いな、とこっそり苦笑いをした。ちなみに、布団が一緒なのは毎度のことなので、もう突っ込まないことにしている。
「今日は様子を見ますけど、明日もこの調子だったら薬を出してもらいましょう」
「…………」
めずらしく、強い口調で(当社比)話す川端と、これまためずらしく歯切れ悪く、押され気味の横光。この様子を見るに、朝から一悶着あったようだ。朝食の時間にふたりの姿が見えなかったのも、このせいだろう。憮然とした顔で鼻をすする葡萄の隣では、白練が表面上立腹しつつも、少し得意そうな顔をしている。
――そうだな、いつも心配されるのお前の方だもんな、たまにこういう事があると嬉しいよな。横光は自分でしっかりしてると思っている分、たまにこういう事があると小さくなるところが、可愛げがあるんだよな。あと川端は、ちゃっかり自分の羽織も横光に被せて、まあ――などと思いつつ、思わず吹き出しそうになる口元を押さえて、鷹揚に頷いてやる。
「そうかそうか、これは師匠の責任として、上等な綿入れでも買ってやらんといかんなあ」
「ええ……とびきりの物をお願いします」
「いや、なんなら徹夜する度に新しいのを用意するってのはどうだ」
「それは良いですね」
「……ふたりとも、冗談はほどほどにしてください」
くつくつと自分が笑えば、川端は淡い口元と目元を弛ませ、拗ねたような顔の横光が眉間に皺を浮かべて、ため息をつく。今生でも可愛い二人の弟子は、線の細い年若い姿とあいまって、まるで弟妹か娘の相手をしている気分で、ついつい構い倒したくなる。そして、それを大手を振って出来るのが、師匠の特権というものだ。
「ま、生前の不養生も含めて、今日はつけを払うんだな」
「――はい」
言いながら、子どもにするように横光の髪をかき混ぜてやれば、弟子の頬が鼻の頭と同じくらいに赤くなる。
「司書には今日は休養する、って言っておいてやるよ」
「ありがとうございます」
本人より先に礼を言うのが相方のほう、というのが彼ららしくて、また笑いを誘う。
綿入れは冗談としても、今日の昼は何か栄養のあるものでも食べさせてやろう。懐具合を算段しながら、数メートル歩いたところで、背後から「あ、川端さ・・・・・・ん? 」という堀の声が耳に届いて、今度こそこらえきれずに吹き出す。
窓の向こうからは、平和な小鳥のさえずり、背後からは、ため息交じりに鼻を啜る音が聞こえた。
甘やかされて大事にされてる横光が見たくて
でも甘さが足りない気がするので、また書きたいと思う。
テーマは彼羽織でした。良いよね……