心づくしの秋は来に
孫兵と左門が後輩のテスト勉強の面倒を見る話。


「綺麗だねジュンコ」
風に飛ばされて胸元に飛んできた紅葉を捕まえて、孫兵は思わず目を細めた。
昼食を終えて、食堂から校舎に続く渡り廊下から外を眺めると、少し肌寒い風と澄んだ空気にちらちらと舞い散る気の早い紅葉が目に映る。今年は紅葉が早いのか、この学園の木々の大半も紅に染まり始めている。
今度の休みにはジュンコやきみこ達を連れて紅葉狩りに行くのも良いかもしれない。秋は毎年冬が来ると冬眠してしまう彼らと過ごす大切な季節だ。
渡り廊下の片隅でぼんやりと感傷に浸っていると不意に後ろから呼び止められた。
「伊賀崎先輩」
委員会の後輩二人がこちらに向かって走ってくる。にぎやかな足音と屈託ない笑顔は大勢いる委員会の一年生の中でもすぐに分かる、は組の虎若と三治郎だ。
「虎若、三治郎どうかしたの?」
今日は五六年が校外に出ているから委員会の召集ではないだろう。では、生物委員で管理している生き物が逃げたか。
そう問いかけると秋空を映したような水色の制服が仲良く首を振る。
「違います」
「僕ら先輩に頼みがあって」
「予習を手伝ってほしいんです」
「予習?」
「明日テストなんです」
「土井先生ったら今日いきなり言うんですから」
そう言って頬を膨らませる一年生二人は傍から見れば冬支度中の小動物の様で愛らしい。
「なるほど、それで予習」
「先輩、考えていること顔にでています」
何かと学園内で噂のは組が…と考えていたらすぐに突っ込まれてしまった。まったく、こういう時の観察能力は感心するほど妙に鋭い。
「竹谷先輩は実習で校外ですし」
肩に乗ったジュンコの尻尾が胸元で揺れた。付き合ってやれ、という事らしい。面倒見が良くて優しい彼女らしい。
勿論彼女に言われるまでもなく、せっかく頼ってきてくれた後輩に協力するのはやぶさかではない。
「わかった、頼りになるかは分からないけれど協力するよ」
とりあえず、午後の授業が終わったら三年長屋前で待ち合わせる事にして、校舎の入口で二人と分かれた。


「テスト範囲はどのあたり?」
日課の筋トレで虎若が遅れる、という事だったのでもう一人の後輩である三治郎と長屋の自室で長持ちを漁りながら、とりあえずの確認をする。
「兵法です、ええと確か謀攻のあたり」
「ああ、その辺ならちょうど僕らもやってるから」
三年生と同じ?ときょとんとした顔をする後輩に「実戦込みで」と笑って付け足す。
「うわ、大変ですね」
「…うん」
確かに大変だった。迷子二人が張り切ってのっけから姿を消したり、は組の予習好きはやるなら本格的にと陣旗やら石火矢やらを用意し、それらに同じは組の保健委員が足を引掛けてあわや暴発しそうになったり等々。
「まあ、座学と実戦では結構違うしね…」
言いながら、自分の長持から参考になりそうな教科書と参考書取り出してはた、と手を止める。
自分は人相手にはあまり饒舌なほうではない、まして今回教える相手は教師陣も手を焼く、一年は組が二人である。
「せっかくだから左門も誘おうか、今日は放課後長屋に居るようなことを言っていたから」
教える側も二人ならば多少ましだろう。ついでに件の同級生は何かと兵法を引用する兵法好きだ、万一自分が教え落とした個所を拾ってもらえれば万全だ。
「…神崎先輩ですか」
大丈夫ですかぁ、と言外に問う瞳に、まったく正直だなと笑う。こういうところが一年は組の可愛い所だ、見れば肩の上のジュンコも喉を鳴らしている。
「大丈夫、図面上で指揮をとる分には優秀なんだよ彼は…これでよし、と」
言いながら、後から来る虎若に書き置きをしてろ組の長屋へ向かう。

「左門、居る?」
ちょっと頼み事があるんだけど、言いながら開けたろ組の室内には
「あれ、団蔵」
意外な人影を見つけて自分の背後にいた三治郎がひょっこり顔を出した。
「あ、三治郎」
「孫兵」
天気が良いので開け放している縁側には、柱と欄間に切り取られた一幅の絵のように紅葉が映える。
その絵の前にはこの部屋の主である左門とその後輩の団蔵が座り、床の上には一年生の教科書と参考書、手元には将棋駒が散らばっていた。
「左門も予習の手伝い?」
「ああ、そう言うって事は孫兵も?」
「うん、今はまだ来ていないけれど、僕一人で後輩二人にきちんと教えられるか心配で、左門に応援を頼もうと思ったのだけど…」
視界の端で団蔵と三治郎が楽しげに話をしている。
「もう教えていたんだね」
出直した方が良いだろうか、と考えていたら「大勢いたほうが盛り上がるから」と引き留められた。
「盛り上がる?」
「字面だけ読んでても面白くないから」
言いながら示す目線の先には、将棋駒が一揃い。どうやらこれで陣形や兵力差を示しながら教えていたらしい。
「本当は外で実際に動きながらの方が良いんだけど」
団蔵がどうしてもここでいいって言うから。少し不満そうに言う彼の隣を見れば、団蔵が複雑そうな顔でこちらに目配せをしている。その様子が分かるだけに、思わず三治郎と団蔵そして自分とで笑いあった。知らぬは本人ばかりだ。
「こーら団蔵、孫兵まで何笑ってるんだ続き始めるぞ」
「はぁい」
「どこまで進めたの」
「まださっき始めたところなんです」
「僕たちもなんだ」
時にきゃぁきゃあと脱線する後輩達と同級生をフォローしつつ、一通りテスト範囲の教科書を読むところから始めることにした。

「…そろそろ休憩しようか」
とりあえず全員が教科書を読み終えたところで、孫兵は手に持っていた本を置いた。
テスト範囲の再確認を終えると後は本格的な試験対策だが、虎若が来る前にあまり進めてしまう訳にもいけない。
「じゃあ、僕がお茶淹れてくる」
「あのっ、神崎先輩、こっちもう一回教えてください」
「僕もここの所見てほしいんですけど」
同級生の善意ある言葉に、しかし慌てた一年生二人がとっさに突撃型方向音痴の制服を両脇からぎゅっと掴む。その様子を微笑ましく思いながら孫兵は「僕が行ってくるよ」と席を立った。
「悪いな、孫兵」
「良いよ」
しっかり教えてあげなよ、と 笑いをこらえながら襖を開けて廊下に出る。
廊下のひんやりとした床板に足裏が触れ、この季節の本来の温度を思い出して息を吐いた。
何かとにぎやかな同級生と後輩達が居たからだろうか、陽が当たっていたことを差し引いても、部屋の中は本来ならもう少し寒いはずだが、この廊下の冷たさが心地良いほどに体が温まっている自分に気づく。
「行こうか、ジュンコ」
身を寄せるように頬に触れる彼女を撫でながら、廊下の奥へと足を進めた。

「あれ、藤内」
「孫兵じゃないか」
人数分の湯飲みと急須を持って部屋へ戻る途中で同級生と鉢合わせた。
「どうしたの、その荷物」
日々予習を欠かさない習慣のせいか、何かと教科書や参考書を手にして歩いていることが多い彼だが、今日両手に抱えているのはいつも以上だ。教科書と参考書、資料集に模型となかなかに大量で、今にもその腕から雪崩落ちそうになっている。
「作法委員会の後輩にテストの予習の面倒頼まれちゃって…どうかした?」
「いや、なんでもない」
「孫兵の方はお客さんでも来てるの」
「うん、ちょっとね」
そっちも大変そうだ、と抱えた湯飲みの数を見て笑う友人に苦笑いで返事をする。
「荷物、気をつけてね」
「ありがとう、そっちもね」
「うん」
短い挨拶を交わしてお互い廊下を反対方向へ歩きだす。

「おまたせ」
「しぃ」
襖を開けて声をかけると、左門が唇に指を当てて静かに、という仕草をした。
見れば一年生二人が向かい合って将棋を指している。二人ともかなり真剣な表情だ。
「白熱してるね」
「せっかくだから待っている間に予習もかねてひと勝負してたんだ」
「さては三人とも飽きてきたね」
突っ込みを入れると、あははと誤魔化すような笑い声が返ってくる。
「さっき僕も二人と勝負したけど、なかなか強いぞあの二人」
そう話す同級生の横顔は未だ勝負の興奮が醒めていないのか、楽しげに笑いながら話す頬が外の紅葉を映したようにうっすら紅に染まっている。もしかしたら、先程まで彼らと話していた自分の頬もこんなふうになっていたのかもしれない。
なんだか恥ずかしいな、などと思いつつ何気ないふうを装って口を開く。
「そこで籐内に会ったよ」
「ああ、僕もさっき数馬が一年生引き連れて歩いてくのを見かけた」
数馬も後輩に明日の予習を頼まれたんだってさ。そう楽しそうに言う口調とは裏腹に、横顔には先程までとは逆の、真面目な表情が浮かんでいる。
「……」
「……」
どちらともない沈黙、一年生二人の将棋駒の嘶きと、縁側に紅に染まったこの葉が落ちる微かな音。
「左門、これってさ・・・」
「やっぱり孫兵もそう思うか」
妙にタイミングの良いテスト範囲、上級生の不在。
五六年は実習で学園内に居ない、何かと面倒な四年生と会えば喧嘩になる二年生には頼りにくい、となればそこそこ接点がある三年に頼む・・・となると
「やっぱり、これは三年のテストだね」
「一年の座学のテスト勉強にもなって、そのテスト結果で僕たち三年がどれだけ授業内容を理解しているかテストできると」
先生方も手の込んだ事をする。
やれやれだ、とため息をつきながら隣を見れば同級生が苦虫を噛み潰したような顔になっている。何かと真っ直ぐな性格の彼だが、そんなに回りくどい方法が気に食わなかったのかと見れば、どうやらそうではないらしく
「孫兵の方は大丈夫だろうけど、僕は字の練習からみてやらないといけないんだぞ」
あんまりな言い様だったが、切実な事態なのが分かるだけに思わず噴き出した。
「ねえ、左門」
「どうした」
鮮やかに舞い落ちる紅葉を背景に一年生二人の歓声が上がる。勝敗が着くのはそろそろの様だ。
「一段落したら久しぶりに一戦しようか」
「いいな、受けて立つ」
縁側の向こう側から足音が聞こえる。多分虎若が筋トレを終えて到着したのだろう。
テストが終わったらこの面子で紅葉狩りにでも行こうか。
「賑やかなのもまた楽し、か」
また少し体温が上がったような気がして呟けば、肩越しにジュンコがすこし笑ったような気配がした。


『心づくしの秋は来に』
お題配布:不知



イラスト左門、孫兵、団蔵、三治郎の裏側。