風に吹かれた薄紅の花びらが、雪の様に降り積もる。
その光景に、クラシゲは思わず息をついた。
入学式も終わって数日。校舎脇に、ささやかに作られた桜並木は、その艶やかな花びらで、幽玄に季節の移ろいを、クラシゲに示している。
――まるで、この世界そのものが、夢幻であるかのように
「俺は文系じゃないはずなんだがな……」
思わず頭の中に浮かんだ言葉に、苦笑いして、クラシゲは口元を緩めた。
辺りには、一時限目前の、少し浮ついた空気が漂っている。クラシゲはもう一度ため息をついた。
卒業式を終えたからなのだろうか、先日から胸の内に、妙な喪失感が漂っている。
生徒を見送るなど、教師をやっていれば毎年のイベントだ。しかし、今年に限っては、妙に物悲しい。
「俺も歳をとったってことか？」
自嘲気味に呟いた後、いやいや、まだこれからだ。と首を振る。
そうして顔を上げたところで、降り注ぐ花びらの向こうから、花弁と共に少女の声が落ちてきた。
「クラシゲせんせー、拾ってー」
反射的に見渡すと、視界の隅。薄紅色の花びらに紛れて、小さな白い紙片が翻っている。
クラシゲは、蝶のように舞うそれを、二、三歩追いかけて、空中で捕える。
「さすが先生」
「ナイスキャッチ」
取れたぞ、と掲げてみせると、二階の窓から女子生徒が二人、身を乗り出して、拍手と歓声を送ってきた。
桜の花びらが舞う中、胸元の緑のリボンが、彼女達の声と共に朗らかに揺れる。
箸が転げても楽しい年頃とは、こういうことを言うのだろう。
うらやましい事だ。と思いながら、その屈託のない笑顔に、クラシゲもつられて笑う。
「こら、危ないから窓のそばではしゃぐなー」
小学生か、とクラシゲが笑いながら眉をひそめると、こちらも笑いながら、すみませーん、と二階の教室から返答が降ってくる。
「すぐ取りに行くから、まっててください」
「見ちゃだめですからねー」
「おう、ちゃんと外履きに変えろよー」
はぁい、と言う良い子の返事を残して、彼女たちの姿が窓際から消えた。
二人の姿が、窓辺から消えたのを確認して、クラシゲは、先程捕えた紙切れに目を落とす。
見るな、と言われはしたが、キャッチする時に、もう見えてしまったのだから、不可抗力だろう。
紙片の正体は、各学年で学期初めに行われる、進路希望調査の用紙だ。
第一希望は都内の有名大学、第二希望には県内の、やや上くらいの中堅校。と、きっちりペンで埋められているが、第三希望の欄には鉛筆書きで、何某君のお嫁さん、としてある。 おそらく、第三希望で悩んでいたものを、友人とふざけて、無理矢理埋めたのだろう。
「お嫁さんって……まったく」
暢気で、しかし、齢相応の楽観的な第三希望に、クラシゲは苦笑いをこぼす。
そうこうしているうちに、校舎の向こうから、パタパタと走る、二組の足音が近づいてきた。
「先生、ありがとうございます」
「ほれ。一応、大切な希望調査なんだから落とすなよ」
息を切らした生徒の片方に、進路希望の紙を手渡す。
「特に、相手限定のお嫁さん、とか書いてあるならなおさらに」
「あっ、見ましたね先生」
「セクハラですよー」
「どこがだ、おい。大声で叫ぶな」
むう、と膨れる希望調査を手にした少女と、間髪入れずに突っ込んでくる片割れ。
まったく、最近の女子高生は油断ならない。とクラシゲはさらに笑う。
「ったく、そうやって、窓から重要書類を落としてる様じゃ、嫁にいけんぞー」
「なんですか、それ。ってか先生こそ、早く奥さん見つけないと駄目ですよー」
「そうそう、ミズサワ先生誰かに取られちゃう」
「お前ら…どっちがセクハラだ、おい」
頭を抱えるクラシゲに、女子生徒二人は、舞い散る花の様に、くすくすと笑う。
「それに……今はまだ、そんな状況じゃないんだ」
「先生？」
クラシゲの口からこぼれた言葉と、その真剣な口調に、生徒二人は怪訝そうに、クラシゲの顔を覗き込む。
「あっ、いや、このあいだ新調した、ダイビング機材の支払いが残っててなー、ってお前ら、そろそろ予鈴鳴るぞ」
「あ、ホントだ、やばい」
「じゃあ、クラシゲ先生。ミズサワ先生との進捗報告待ってますねー」
「待つな、ちゃんと授業出ろよー」
腕時計を確認して、慌てて踵を返す二人を微笑ましく見送りながら、手を振る。
その背中が校舎の影に隠れると、ほぼ同時に予鈴が鳴った。
「何だったんだ、今のは」
クラシゲは、予鈴を聞きながら、先ほど口走った言葉を考える。
彼としては、軽い冗談で、あの話題をごまかそうとしただけ、だったのだ。しかし、口に出した瞬間、妙に真剣な口調になって、自分でも、焦ってしまったのだ。
「……やっぱり、疲れてるのか？」
首をかしげたところで、背後から声が掛けられた。
「クラシゲ先生」
「あ、ミズサワ先生」
振り向いた先では、ミズサワがファイルを片手に、こちらに駆け寄ってきていた。
「先生、予鈴鳴りましたよ」
笑いながら、めっ、と小首をかしげる。子供にするように言われて、その仕草の可愛らしさに、まいったな、とクラシゲは内心笑った。
「今、そこで走ってく生徒を見かけたんです。そしたら、クラシゲ先生がいらっしゃったから」
「あの子達が教室から落とした進路希望調査を、拾って渡してたんですよ」
言いながら、先ほどの希望調査に書かれた、お嫁さん、の文字を思い出して、口元を緩める。
「ああ、そうだったんですか。あ、クラシゲ先生、少し元気出ましたね」
「え？なんですか」
ぽかんとしたクラシゲに、ミズサワは、ふふ、と笑う。
「なんだか先生、ここの所、少し元気が無かったような気がしたから」
「ああ、いや、どうもこの時期は忙しくて。それに、桜が散っているのを見たら、妙に物悲しくなってしまいまして」
歳をとると、感傷的になっていけませんね。頭を掻きながら、照れ笑いを浮かべるクラシゲに、ミズサワは、いいえ、と穏やかに首を振ってみせた。
「そんなこと……クラシゲ先生は、いつも生徒に一生懸命で、とても優しいから、そう感じるんですよ」
「いやぁ、ミズサワ先生に、そこまで言っていただけるなんて、光栄です」
お世辞だと思っていても嬉しい言葉を貰い。その緩んだ頬を隠すために、クラシゲは、はらはらと花弁を散らす桜を見上げた。
校舎からは、生徒達の声が、小鳥の様に明るく響いてくる。
「……さっきすれ違ったあの子達、すごくいい笑顔をしてました」
「ええ」
教師の欲目も入っているのだろうが、この学校の生徒は、皆良い子達だ。
「あの子達が、自分たちの未来に向かって、頑張っているんです。私達も、まだここにいる生徒達のために頑張らないと」
「……はい、そうですね、ミズサワ先生」
真剣なミズサワの瞳を受けて、クラシゲは頷いた。
桜の花びらだけが、穏やかに二人の頭上を舞い散ってゆく。
「なんだか、恥ずかしい事言っちゃいましたね」
「いや、そんなこと……あ、そうだ聞いてください、さっきの奴ら、進路希望に、ふざけてお嫁さん、って書いてたんですよ」
「あら、可愛いじゃないですか」
「まったく、責任重大ですよ。無事にこの学校卒業させて、嫁に出してやらないと」
「もう先生、それじゃお父さんですよ」
「ははは、すみません。恋人もいないのに、父親はないですよね」
「もう、笑わせないでください。さ、授業始まっちゃいますよ」
「ああ、そうですね、行きますか」
「はい」
明るく笑いながら頷くミズサワに、こちらも笑って、クラシゲはもう一度、頭上を見上げる。
薄紅の花びらは、雪の様に降り続けている。
未だ胸の内の喪失感は消えないが、季節が移って、この桜が葉桜になる頃には、忙しさにまぎれて、この痛みも消えてゆくだろう。
「クラシゲ先生？」
「今行きます」
降り積もる花びらを掻き分けるように、クラシゲはそっと足を踏み出した。
以下、ADPフナベリとクラシゲについて雑感を少し。
何気にADPで一番株を上げたのはクラシゲ先生かもしれない。という話
いままで、ドラマCDとTV版のクラシゲが繋がらなくて、うんうん一人で唸ってたので
（逆に矛盾点もいろいろ出てきたけど）
ADPのブックレットでクラシゲについて書いてある箇所を読んで、クラシゲとフナベリ、ミズサワの関係が、ある意味、キョウとシズノ、カミナギの関係をスライドさせた感じがして面白いなー、と思いました。
勿論、クラシゲからのフナベリに対する感情は敬愛だし、そのまんまって訳じゃないけど
これ、フナベリが奇跡的に残ったデータから復活、とかなったら、また面白いだろうな、とか
学生達とはまた違った人間関係が見れそうだ。
ADPの断片的なシーンや会話から覗える、科学者、教師（子供を保護するべき）大人としての立場と、視点の切り替えと混乱に、ああっ、ってなりました。
この辺のフナベリとクラシゲがどんな思いで、サーバーで生活していたのか、とかちょっと年末に栗きんとんの裏漉しをしながら考えてみたり。
本当はもう少し深く掘りたいけど、とりあえず今回はここまで。