軌道と軌道のもつれあう場所
鈍い炸裂音の振動が、リビングの窓ガラスを微かに揺らした。
その気配に気付いた、クロシオはノートパソコンの画面から、ふと顔を上げる。
わずかな間の後、リビングの窓の外で、オペラピンクの光の花が咲いた。
「もうそんな時間か」
クロシオは、ちらりとノートパソコンの隅に表示された時刻を確認する。
パソコンに表示されている時間は20時38分。今ループの舞浜南花火大会は、予定より8分遅れで始められた様だ。
舞浜サーバーにある高層マンション。舞浜サーバーに籍を置くセレブラントとして、クロシオに割り当てられた、この部屋のリビングには、時計が置かれていない。さらに言うなら、家具らしい家具と言えるは、今彼がノートパソコンを広げているローテーブルだけだ。
こちらに来た当初、カーテンの色柄や家具について、相方であるイリエと少し揉めた。しかし、授業時間以外は、ほぼオケアノスに詰めている事もあって、結局この部屋には、未だにカーテンすら付けられていない。
勿論ソファーも無いので、先程までクロシオは、フローリングの床に、直に座ってパソコンを打っていた。
「……職業病か」
先ほどの花火の爆発音を聞いて、咄嗟に規模と安全距離を計算した自分に苦笑いして、クロシオはあらためて窓の外へ視線を向ける。
窓の外では、本格的に打ち上げ花火が上り始めていた。
春から夏をループし続ける舞浜サーバー。その短い時間の中、数少ないイベントである舞浜南の夏祭りは、この花火で締めくくられる。
「意外と近くで見られるもんだな」
ベランダを挟んで、窓越しに上る花火を眺めながら、クロシオは目を細めた。
クロシオが舞浜サーバーの夏を過ごすのは、これで3度目だが、この日をサーバー内で迎えるのは初めてだ。
もともと、この高層マンションはずいぶんと立地が良いらしい。昼にはリビングの窓から、舞浜の街を一望できた。そして、どうやらクロシオは、その中でも良い部屋を割り当てられたらしい。今日の窓からは、ほぼ目線と同じ高さに、花火が見えている。
「こんな所でサービスされてもね」
ゆっくり街並みを眺める暇なんて、そうそう無いくせに。ここには居ない誰かに向って、独り言ついでに愚痴って、苦笑いをこぼす。
作りかけていた書類を保存し、パソコンを閉じて立ち上がる。そのまま部屋の明かりを落とし、ベランダに面した窓の前に立った。
目線を少し上げると、少し離れた電車の高架沿いに広がる、オフィスビルの影。視線を落とすと、マンションの下に広がる住宅街。そしてその向こう、住宅街から少しはずれた、普段は緑に囲まれている一角に、祭りの屋台が並んでいるのが、提灯と屋台の電灯で確認できる。
パイロット時代からの相方で、現在も共に、オケアノスのブリッジ業務を勤めるイリエは、副指令であるミナトと一緒に、あの屋台が並ぶ、祭り会場のどこかに居るはずだ。
一応の名目は、リブート直後であるセレブラントの経過観察だが、実質は女子二人の息抜きだ。
出がけのイリエは、口では面倒だと言っていたが、いつに無く上機嫌だった。同じく、シドニーサーバー出身であるミナトも、初めての浴衣ということで、いつも以上にはしゃいでいた。
その様子を思い出して、クロシオは思わず、くつくつと笑みをこぼす。
やっぱり、可愛い女の子が可愛い格好をして、楽しそうにしている図、というのは眼福だ。と年齢に見合うような、見合わないような妙な納得をして、うんうん、と満足げにクロシオは頷く。
そうこうしているうちに、花火は序盤の小玉から、色変わりの仕掛けが入った、菊と牡丹の割り物に移っていたようだ。
炭酸ストロンチウムの赤、アルミニウムの白銀、炭酸カルシウムの華やかな黄色。硝酸バリウムの鮮やかな緑の光が、窓ガラス越しに飛び込んでくる。
クロシオはその緑の光に、今このサーバーに居る、自分以外のもう一人の元パイロットについて、思いを巡らせた。
――ソゴル・キョウ
煌くようなグリーンは、彼の搭乗していた最新のホロニックローダー、ゼーガペインアルティールの装甲色だ。
彼も、地上の祭り会場から、この花火を眺めているのだろう。
キョウとクロシオは、学年こそ違うが、同じ日本の高校生。そして、同じくゼーガペインの元パイロットだ。
「――いや、違うか」
そこまで考えて、クロシオは少し自嘲的に笑う。
クロシオのほうは、もうゼーガペインに乗ることは出来ないが、彼はまだ分からない。
データの限界で、物理的にゼーガペインに搭乗できなくなったクロシオとは違い、キョウのデータには十分な余裕がある。聞いた話によれば、パイロットとしての腕も、なかなかだったようだ。
だからこそ、多少の無理を押してでも、司令であるシマは彼をリブートしたのだろう。
――はたして、記憶を取り戻した彼は、もう一度ゼーガペインに乗って戦うだろうか。それとも、こんな現実は受け入れられないと、拒否するだろうか。
キョウに期待を寄せるシマや、特別な思い入れがあるシズノには悪いが、後者の選択もやむなし。とクロシオは考える。
クロシオが、リブート前の彼と直接顔を合わせられたのは、片手で数える程度。交わした言葉も、ほぼ挨拶と業務連絡くらいだ。ソゴル・キョウとしての彼については、ほとんど把握していない。
けれど、データロストする前。クロシオが最後に見た、パイロットとしての彼は、酷くなにか思い詰めている様だった。それは分からなくもない、とクロシオは思う。
前線に立つパイロット達は、データに限らず、いろいろなものをすり減らしている。
安穏とした、サーバー内の学生生活から、消すか消されるかの戦場へ。そして、その殺伐とした現実と向き合う覚悟と、それを負う責任の重さ。まして、背後に自分の身内や、大切に思う友人がいるサーバーを背負っているなら、なおさらだ。
実際、クロシオ自身も、ゼーガペインに乗れず、前線に出られない口惜しさ、もどかしさを感じている。しかし同時に、戦場で身を削る事も、気に掛けるべきサーバーが無いという現実に、どこか肩の荷を降ろした様な、安堵を感じているのだから。
「まあ、一度話をしてみるのも良いかもしれない」
放っておけば、堂々巡りする考えを、苦笑い交じりのため息をつきながら、現実に戻していく。
相方であるイリエや、有能さが売りのシマに言うことは憚られるが、同じ元パイロットという立場ならば、腹を割って話しをしてみる、というのもありだろう。
ソゴル・キョウが、パイロットに復帰するにしても、しないにしても、彼と自分にとって、何か進展が期待できるかもしれない。
とりとめのない事を考えるうち、花火のプログラムは、スターマインに入ったようだ。
窓からは、途切れる事なく、極彩色の音と光が差し込んでくる。
その花火の音に紛れるように、目覚ましのような、微かな電子音が聞こえた。
「ハヤトさん、失礼します」
電子音と共に現れたのは、オケアノスのAIの一人、ディータだ。クロシオが眺める、リビングの窓ガラスに、花火の光を透かせて半透明に映る。
「ディータ、何かあった?」
「いえ。今後の航路について、司令が意見を聞きたいそうなので、よろしければ。と」
「了解。すぐそっちに行くよ」
「はい」
先に司令に伝えておきます。
短いやり取りの後、にこやかに言って、窓に映っていたディータの姿が消えた。
後に残るのは、花火の光に照らされた、無機質で暗いマンションの一室。
「……やっぱり、カーテンと敷くものくらいは買っとくかなぁ」
消えるディータを見送ったクロシオは、つぶやく。
光に照らされる、一人残された部屋が、妙に寒々しいものに思えたのだ。
腰も痛いし。言い訳のようにぼやいたところで、一際大きな音が響いた。一拍置いて城と銀色、淡い青の光が、クロシオの足元を彩っていく。
その色に、未練がましくも、自分の乗っていたホロニックローダーを思い出し、クロシオは苦笑いをこぼす。
ブリッジからの戦闘支援も、だいぶ慣れてきたところだ。戦場も、戦い方も、一つとは限らない。光の鎧を纏う事はできなくとも、自分には自分の、戦い方があるはずだ。
窓の外では、クライマックスに向けて、まだ花火が上り続けている。名残惜しいが、今回はここまでだろう。
次のループでは、最後まで観られると良い。出来るなら、心置きなく。
そんな事を思いつつ、花火の光で眩く照らされる窓をそのままに、クロシオは踵を返した。
各国のセレブラントたちが、入り乱れているであろうあの世界で
同じ日本出身の、同じ年頃のパイロットとなると
男の子のプライドとしては、どうしても気にならないわけ無いよなぁ。とか。
ルーシェンやシマの様に、好敵手やある意味の憧れが無い分、お互い冷静に相手を観察できるのかもしれない。