その背中に羽はいらない
※『天国で迷うこどもたちへ』からの続きよう、と声を掛けられた川端が顔を上げると、精悍な顔立ちの若者がこちらを覗き込んでいた。
午後に少しだけ足を掛けた補修室前の廊下は、庭木の影と陽の光で、ちいさな陽だまりをそこここに作っている。
「――菊池先生」
「横光は……中か?」
「はい」
図書館、と称されるこの場所へ呼び出されて数週間。理解してはいるのだが、生前の記憶を強く持った川端には、未だ戸惑うことも多い。話にしか聞いた事がなかった大家が、青年の姿で悠然と茶を啜り、病弱と聞いていた作家が裏庭でボールを追いかけ、それなりに成人していたはずの作家が、子供として館内を駆け回っている。――中には、生前と変わらず、酒瓶を手放さない者もある、という話だが。
自身や友人、その師匠も例に漏れず、先ほども生前世話になった師匠と、目の前の小洒落た青年の姿を結びつけるのに一拍かかった。その師匠が視線で示す先は、補修室と名の付いた部屋の扉だ。
「もう潜書に出てたのか」
「ええ……まずは利一と一緒に、易しいところから、という話でしたが」
川端はいったん言葉を切って、ため息をついた。背中を預けた窓際の壁は、陽の光があたって温まっている。
「どうにも、彼が前に出たがるようで……」
「そりゃあ、また――」
苦労したなあ、という状況を察した師匠の労いに、どうもと返す。
「たいしたことは無いそうですが……」
「が?」
念のため、無理矢理ここに押し込めました。という言葉に師匠が、はは、と笑う。
「若い姿になったといって、気分まで子供になっては……」
おかげで昼餉もまだです。川端が芝居がかって膨れれば、なるほどなあ、と隣の師匠もわざとらしく苦笑いを作って、こちらに見せる。
「まあ、あれも喜んでいるんだ、大目に見てやってくれ」
「……分かっています」
友人の、こちらでの姿を多く知らずとも、その足取りや目線、声に載せた花のほころぶような気配に、気付かない自分ではない。
「俺だって、お前さんにまた会えて嬉しいんだからな」
分かるだろう、という声にうなずけば、よしよし良い子だ、と上機嫌な黒手袋が、唯一晩年と変わらない白練色の頭をかき混ぜていく。こちらも見た目が若返っているとはいえ、十代を過ぎた青年の姿にする扱いではないだろう。そうは思うのだが、生前これ以上無いほどに、手を掛けてもらった師匠なので、無碍にできない。何より、与えられる好意を素直に受け取るのは、自身の専売特許だ。
「――ありがとうございます……そういえば、ひとつお聞きしたいことが」
「ん?」
ひとしきり頭を撫でて、満足した菊池の手が離れるのを待ってから、川端は窓の外を指さし、ここ数日感じていた疑問を口にする。
「あの辺り、何かあるのですか?」
補修室前の廊下が面しているのは、図書館前に広がる庭の隅のほうだ。広い窓からは、整えられた正面アプローチと違い、手は入っているものの、どこか野性味を残した緑の茂みと、ミズキやトネリコの木立が覗いている。
「時々、利一があの辺りを眺めていることがあるので……」
指した指先を目で追った師匠は、ああ、と頷いて、今年もちゃんと渡ったのか、と目を細める。首を傾げると、目の前の師匠は、そこに友人の気にしている小鳥の巣があるのだ、と梢を眺めて笑った。曰く、時々うっかりした雛鳥が、巣に戻れずに落ちているらしい。
なるほどそれで、と時折心配そうな顔をして、空を見上げていた友人の行動に得心がいく。
「それは……彼らしいですね」
「まあ、時々気を取られ過ぎて躓いてるからなー、お前も気を付けろよ」
「はい」
眉をしかめながら、茶化して笑う菊池に川端もつられて笑い、ついでに心中で、今一度頷く。今生で再会した友人と師匠、一足先にこちらに来ていた彼らには、どうやら自分が卵から孵ったばかりの小鳥に見えるらしい。生前の己を顧みれば、自業自得と言わざるを得ないが――けど私、おそらく今生は貴方がたより、年寄りなんですがね……それも、かなり。頭の中で、ため息交じりに苦笑う。
どうしたものか、と思案したところで補修室の扉が開いて、川端が待ちかねた菫色が顔を出した。
「お疲れ様です、利一」
「ああ川端、待っていてくれたのか……菊池先生」
言いながら顔を上げた彼の顔が一瞬ひるむ。自分に加えて師匠まで揃っていることに気付いて、面食らったのだろう。迷う視線が、悪戯の言い訳を探す子供のようで微笑ましい。
ただし、ここで言い訳をさせてやるほど、歳を重ねてしまった自分は甘くない。
「ええ、待たされました」
こちらから手を取って絡める指先に、悪戯めかした甘さと、少しだけ苦みを加えて笑いかける。
「あまり無茶をしないで下さい……廊下で一人待つのも、侘しいものです」
「……すまない」
軽く釘を刺しただけのつもりが、あまりに素直に申し訳なさそうな顔をするので、今度は本当に笑ってしまう。この友人の、不器用で優しく実直なところは、どんな姿になっても変わりないのだろう。
「まあ……途中から菊池さんも一緒でしたから」
「それは、 すみません」
改めて、師匠に向き直り頭を下げる横光に、菊池はからからと笑う。
「気にするな、それよりお前ら早くメシ食ってこい」
「と、いうことだそうです」
「はい、行ってきます」
行きましょうか、と川端は友人の手を引く。ちらりと振り返る肩越しに映るのは、師匠の柔らかな口元だ。掌の温もり、穏やかな空気、素直で実直な友人と、面倒見の良い師匠。こうして甘やかされる雛鳥扱いも、決して悪いものではなく――とりあえず、今のところは
「……まあ、もう少し甘えておきますか」
「どうかしたか?」
「いいえ、何でもありません」
こちらに向かって小首を傾げる仕草は、それこそ小鳥のようで口元が緩む。
「貴方がうっかり落ちないように、捕まえていないといけませんね」
「何の話だ?」
「さ、行きますよ」
「おい、川端」
窓の外の梢がそよいで、廊下の陽だまりが少し領土を広げた。来年には、隣の彼と新たな小鳥の心配をするのだろうか――それも良いだろう。繋ぐ掌の温かさに、ひそやかな笑みを浮かべて、川端は食堂へ歩を進めた。
実は押しが強くて甘え上手な川端と、身内の押しには弱くて甘え下手な横光
他人の世話を焼くことで 自己認識が強まる菊池、でぐるぐる回って
最終的に蜂蜜バターになれば良いよ!という話。
イメージBGMは「Young And Beautiful」フィッツじゃねーか
歌詞と手嶌葵さんのバージョンが凄い川端っぽかったので…